hiranatsu’s blog

To 私と共に生きる人達

私は最善策をわかっている、それは愛だ。

 
 
 
 
なっちゃんは最善策は自分の中でわかっている人だと勝手に思っている。それは愛だよ。
 
 
 
仲間である多田一尋さんにこの言葉をもらった。
 
 
あ、そっか。
 
言われてみれば
 
なんとなく、そんな気もした。
 
 
以前サークルで副部長を務めた時も、譲れない軸がいつもどこかにある気がしていた。
揺らぎそうな波の中、いつも柱だけは絶対に倒さない!と必死に握る自分がいるような気がしていた。
 
 
 
 
いや、なんの軸だよ。
 
 
 
そう思いますよね。笑
 
 
 
 
 
たぶんそれは譲れない、
 
思いやりや、愛だと思うのです。
 
 
 
 
どんなに面白そうでも、画期的そうでも、楽しそうでも、
 
それが誰かの悲しみに、不穏に繋がるのであれば、
 
 
 
私は断固として反対する。
 
 
 
そのセンサーが私にはあるようなのだ。
 
 
 
 
私には
 
素直な心で人と共に生きたいと願う人に対して、
 
そのセンサーは向けられていると思う。
 
 
 
たぶん自分以外の人の幸せや、人と人との間にある幸せを考えるつもりがない人には
センサーは働かない。
 
 
 
 
 
 
どうしてこのセンサーとも呼べる軸ができたのか?
 
 
 
 
私は幼少期を思い出した。
 
 
小学校低学年の私。
それはそれは自由にのびのびと
自分のわくわくするものだけに向かって、
毎日わははと生きていた。
 
みんなで鬼ごっこしたり、ろくむししたり、走り回ったり、絵を描いたり、一輪車に乗ったり、勉強したり、本を読んだり。
 
私は色々と器用になんでもやった。人口の少ない田舎の学校だから、小さい頃はなんでも一番になれた。
 
そんな私に小さな対抗心を抱く女の子がいた。その子の名前はちーちゃん。
 
私は男の子と張り合うのが好きな、かなりわんぱくな短髪の女の子。
ちーちゃんはピンク色や髪飾り、おままごとをするような女の子だった。少し気が強くて派閥を作る子だった。
 
 
まあ気はそんなに気は合わないだろうということは容易にわかるだろう。
 
 
喧嘩もしたこともあるけど、さほど気にせず生きていた。
 
 
 
 
ある日、5,6人で学校終わりに遊んでいた。
 
ちょうどなにかこれやろう〜!って
なにかしらの遊びをやることに決まった
 
その遊びは人数が決まっててちょうどこの人数でいいかんじやんってなってた
 
その時、ちーちゃんが家にやってきた。
 
 
 
 
そのちーちゃんに私は
 
「来んくてよかったのに〜」
 
って言った。
 
 
 
 
幼い私の正直すぎて素直すぎる、本人としては悪意のない、言葉だった。
 
 
 
 
それを聞いた、ちーちゃんはすっごく悲しそうな顔をした。
 
見たことない顔だった。
 
 
 
 
 
 
私はその顔を忘れることができない。
 
 
 
 
 
 
 
ちーちゃんは、本当にまっさらな心で、
素直にみんなとわくわくしに来ただけなのに。
 
 
 
 
 
そんな綺麗できらきらした心を私は踏みにじってしまったのだ。
 
 
 
私は本当にやってはいけないことをした。と、
 
生まれてはじめて、自己嫌悪
というものを感じた。
 
 
やってしまった。
 
 
その思いが強すぎて、
 
 
謝ることも、できなかった。
 
 
 
 
 
 
自分のわがまま、やりたいが自分のためだけになってることへの恐怖、悲しさを感じた。
 
 
それから私は心を変えた。
 
 
 
 
 
みんなのやりたいを一つにしよう、と動くようになった。
 
 
私のやりたい、は誰かのやりたい、とは違う。
 
だけどみんなで一緒にできないか?って考えるようになった。
 
誰かのやりたい遊びと別の人がやりたい遊びを融合して新しい遊びを作ったりもした。
 
 
みんなの素直なわくわくした心を殺したくない。
 
わくわくした心をみんなで持ち寄って、みんなでわくわくできないか。
 
 
それが私の役割になっていたのだ。
 
 
 
そんな私の幼少期が今の私のセンサーになっていると思う。
 
 
 
今、心に素直にわくわくに挑戦し続けることを軸に
活動しているけれど、
 
 
思いやりのセンサーだけは失わずに生きていきたい。
 
 
 
人の素直なわくわくする気持ちが大切にされる、
思いやりが大切に守られる社会にしていきたい。